痴漢加害者のインタビューがリディラバ・ジャーナルに掲載されていた。
痴漢し続けて30年…元加害者の告白
https://journal.ridilover.jp/issues/107
http://news.livedoor.com/article/detail/14863334/
『痴漢大国ニッポン:「社会問題」として考える痴漢』の一部が公開されている。
ーーその女性に対しては、毎朝痴漢をしていたと。
私としては触らせてくれているんだなと思っていたんです。そのときに限らず、痴漢をしていたときは、触って嫌がらなければ許されていると思ってやっていましたから。嫌がられたらやめるんです。騒がれたら困るというのもあるけど、そもそも嫌がるのを無理やり痴漢することはしませんでした。逆に嫌がるそぶりをしない女性は許してくれているのだと思って、エスカレートしていきました。
今になって考えれば、抵抗できないのは恐怖でフリーズしてしまっていたからだとわかるんですけど。被害者が毎朝乗る車両を変えられないのも、他の時間帯に乗車時間をズラすことができないのも、痴漢にストーカー化されるともっと怖いからという話を最近聞いて、ああそうだったのかと。
このインタビューでは加害者が相手の考えていることを読み取ることができていないことが明らかにされている。
他者の考えや感情を読み取れないというのは、症候学では自閉性に相当する。
このケースに自閉性があると考えてよいだろう。
痴漢行為は相手の気持ちを推察して行われていたのではない。加害者は被害者のリアクション、つまり、嫌がったら嫌だと判断する、嫌がらなかったら嫌ではないと判断をしている。このような判断の仕方は、一般的に行われている、直観的な他者理解とは異なる。
少し整理をしよう。
他者の考えていることを推察ができないことは自閉性(Autistic)であり、相手の考えていることを推察できても、感情が動かないこと(相手が苦しんでいたり、痛がっていても平気)はサイコパシー(Psychopathy)であり、相手の苦しむ様子をみて喜ぶことはサディズム(Sadism)である。
痴漢のような犯罪では、この3つの症候を区別すると非常にわかりやすい。一般的に想像される「痴漢の加害者像」はサディズムであろう。
つまり、相手の感情もすべて読み取ったうえで、相手の反応や電車やバスなどの公共の空間で相手の嫌がることを行って喜びを感じといったものだ。このような痴漢はサディズムに近い。
しかし、相手が嫌がっていること「すら」わかっていないのであれば、一般的に想像されるサディズムではなく、自閉性が病理の中核にあると考えた方が合理的である。
同じインタビューには以下のような記述もある。
痴漢をしていたのも、もともと女性とのコミュニケーションがあまり得意ではなく、女性と会話してお付き合いをするという流れをショートカットして触っていたんだと思います。だから性的な欲求というよりは、女性とのコミュニケーションのつもりでした。
痴漢が女性とのコミュニケーションというのは、一般的な感覚とはかなりの隔絶がある。
自閉症では、突拍子もないものを他者とのコミュニケーションだと思い込むことがしばしばある。
犯罪ケースでも、突拍子のない行動を加害者がコミュニケーションだと思い込んでしたケースは存在する。
例えば「大阪姉妹殺害事件」の加害者、山路悠紀夫である。
大阪姉妹殺害事件は2000年に母親を殺害した事件(山口母親殺人事件)加害者が出所後に起こした殺人事件である。加害者の山路は、出所後にパチンコ不正行為をする犯罪グループに属して、犯罪行為を続ける。その拠点の一つが大阪にあり、そこで姉妹を殺害する。
犯行の前に、姉妹の住む部屋の配電盤をいじって、電灯を点滅させるなどの行為を行っていた。電灯の点滅は迷惑行為にしか思えないが、山地にとっては姉妹へのメッセージであり、コミュニケーションであったようだ。(池谷考司・真下周が『死刑でいいです-孤立が生んだ二つの殺人』)
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犯罪ケースを持ち出すまでもなく、自閉症ではこのような本人にしかわからない(本人にとっては)コミュニケーションだと捉えられている珍妙な行動がしばしば発生する。
痴漢行為によって被害者が嫌がったり傷つくことが推測できないことと、痴漢行為がコミュニケーションだと考えていることを考え合わせると、この加害者には自閉性があったと考えるのが合理的であろう。
痴漢と自閉性を考えるうえで最も重要なのは、このように自閉性の関係したケースは痴漢全体のどのくらいを占めるかという点であろう。この加害者の供述は「よくあるもの」なのか、珍しいものなのか。痴漢行為に自閉性が頻繁に関係しているのであれば、対策も打つことが可能だ。
現在の精神病理学では、自閉性は自閉症に伴うものだと理解するりが主流であるため、自閉性という特性は児童期から存在していると推測できる。であるならば、児童期に支援を行うことで防ぐという対策が浮かび上がってくる。