「イーハトーボ小学校の春」の冒頭、井出先生が磐手小学校に赴任していく経緯をのべられ、新職場となった学校を名付けたことがわかります。
かねてから宮沢賢治の作品を読み、特に教師としての賢治に共感されての事だと考えられます。
では、賢治にとってイーハトーボとは何だったのでしょう。賢治は、初の童話集『注文の多い料理店』の出版にあたり、自筆の広告文を作りました。
それは《イーハトヴは一つの地名である》の起句ではじまる有名な文章で、ここから「岩手」をエスペラント風に呼んだものとか、理想郷(ユートピア)のことだと短緒的な解釈が生まれています。しかし、賢治研究家の天沢退二郎氏は、前記広告の全文をよく読みかえし、文の内実にたちも
どって解釈を深めることが大切と指摘しています。(『宮沢賢治ハンドブック』1996年・新書館)
つまり「イーハトーポ」ってなに?という疑問に対する答えは簡単でなく、作品群を読むほかありません。幸いにも若干の研究書がありますので参考までに掲げておきます。
(1)「イーハトヴを探して」赤坂憲雄・吉田文憲編著 『「注文の多い料理店」考』五柳書房・1995年所収。
(2)「過ぎ越しの賢治」(中沢新一)中沢新一著『哲学の東北』幻冬舎 文摩・1998年所収。
ちなみに、<イーハトーボ>の表記法は、 賢治自身も「イーハトヴ→イーハトブ→イーハトーポ→イーハトーブ→イーハトーヴォ」とさまざまに変化しています。
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