大田堯(東京大学名誉教授・元都留文科大学学長・教育学)
北海道新聞十二月一日
 教育は芸術だ。諸科学はむろんのこと、総知を集めた高質なアートだ。井出良一著「イーハトーボ小学校の春」(一ツ橋書房)を読むと、この思いを一層深くする。
場所は大阪と京都の境、山峡の分教場(高槻市磐手小学校川久保分校)全部で十四人の子ども、うち、一、二年生三人の担任が井出先生である。四季の折り目も鮮やか四方山に囲まれ、畑(農場)をもつこの分校の自然環境では、井出さんと子どもたち、同僚教師、それに地域の人や親たちとの響き合いによるファンタスチックなアートとしての子育てが、ゆったりと繰り広げられる。
こればかりにはなりたくないと思ってきた教師に、ひょんなことからなってしまう。「教師たること」の先入観のない井出さんの自由闊達、飾り気のない動きが、子どもたちの心と響き合うことになったのだろう。彼はいまでは「授業で勝負する」という斎藤喜博ばり、各教科これはたしかだという教材に執念深くこだわるが、その活動の場は教室を遥かにはみ出し、地区の住人から提供された農場を中心に、雲と風とあらゆる生きものをのせた大地そのものだ。
 土地の人や親たちのあれこれの支援もあって、子どもたちともども桑を植え、レモンバームの種から育ったハーブ・ティー、切り倒された団地のポプラの木から炭を焼く。チャボを育て卵を、桜の花びらのブランデー漬け糖花、廃油から石鹸、ベーコンやウィンナーづくりまで。稲、小麦の穀類のほか世界各地の作物二十数種類(エジプトの古代のファラオの墓から出たエンドウ豆を含む)を育てる。すべて有機、無農薬、製品は教師、父母でつくる「友の会」が引き受け、ときに集会での出前販売もやる。こうした総がかりで創り出す仕事そのものを、学びの土台において、子どもたちにためらわず高質な学問、文化の獲得に取り組ませ、音楽や絵や作文を通して、肉声による自己表現を励ます。こう書くとてんてこ舞い、忙しそうだが、本人も子どもたちも楽しく夢中で生きている。
 晴れた日は畑の教室で算数や国語。学習課題にとり組みながら、子どもたちはポップ・コーンをほおばる。みんなで白雲に詩で呼びかける。雨の日は小麦からストローづくりをする。そしてゆっくりと本を読み合い、計算の練習をする。・・・時間は悠然と過ぎていく。・・・山あれば山を観る/雨の日は雨を聴く/春夏秋冬/朝もよろし/夕もよろし/(山頭火)井出先生作曲になるこの分教場の風情そのものである。
 井出さんの子どもたちとのかかわりあいは、子どもひとり一人のもつ生命の自己創出力への深い信頼感に依掾したものだ。それは自然の摂理にそうた雄大ないとなみで、悠々のリズム、美しい音の調べにのって繰り拡げられる絵巻物のようだ。
 文部省、指導要領、教科書、学校などが小さく小さく見えるから不思議である。
(北海道新聞十二月一日から・ある小さな分教場からの報告)