「チャーター・スクールを日本に」
高槻市立土室小学校教諭 井出良一

 米国でチャータースクールが通常の公立学校よりも学力面で劣るという記事がニューヨーク・タイムズに掲載された。チャーター・スクールとは、行政から特別認可を受けた市民が運営をする公設民営の学校である。朝日新聞でも8月26日付で同記事が紹介されている。しかし、「学力面で劣る」との捉え方に問題があると思われる。


 チャータースクールには学習に障害を持つ子や、不登校の子どもが通っていることが多い。英語では「危機に瀕した」(at risk)という言葉が使われるが、チャータースクールの多くはこのような危機に瀕した公立学校を市民や団体が引き受けて改善しようと努力している学校である。従って、通常の公立学校と比べて低い成績が出るのは当然なのである。ところが今回の調査研究ではチャータースクールは通常の公立に比べて低いものの、かなり拮抗した結果を出している。従って今回の調査から真に私たちが受け取らなければいけないメッセージは、危機に瀕した学校を立て直しつつあるチャーター・スクールが公立学校と拮抗する成績を出せたという事実である。シカゴ・トリビューンのコラムニストであるクラレンス・ページは「チャータースクールの驚異的な成功」とこのニュースについて評価している。現在、チャータースクールは全米で二七〇〇校を越え全米で七〇万人もの生徒が通う学校制度となった。このような成果に対しブッシュ大統領は二〇〇五年度の予算で三億一八〇〇万ドルの拠出を約束している。


 振り返って日本の教育現場を見てみると、危機に瀕した教室が山のように存在する。学級崩壊という言葉はメディアに露出しなくなったが、学級崩壊の実態は今も増加し続けている。不登校の子どもは増え続け、学力低下も問題視されている。対岸の火事ではなく、今、日本の教育は危機に瀕しているのである。問題の根幹は、教育システムの金属疲労である。教育に対する社会的要求は変わった。教師をしている実体験からいうと、親の教育ニーズは、近年多様化してきている。しかし公立学校は金太郎飴のように全国どこでも同じ教育をしている。教師が親や社会の教育ニーズに応えていこうと思っても今のシステムでは制約が多すぎる。また教員の能力育成に無関心であったため、教師を育てられなかった。結果責任も問われないため教師の仕事が「お役所仕事」と化してしまっている。そして一番の問題は親と子に学校の選択権がないことである。例えば自身の子供のクラスが学級崩壊していようとも、親は子供をそのクラスに毎日送り出さねばならない。金銭的余裕のある家庭ならば子供を私学へ入学させることも可能だが、大多数の子はクラスが地獄のような環境であっても耐え忍ばなければならない。教師も精神や体を患って休んだり、退職に追い込まれている。そんな状態の中で、私は日本でもアメリカのようなチャーター・スクールの制度を提案したい。私自身、土曜日にボランティアとしてフリースクールを7年間続けてきて、市民と創る楽しい学校、基礎学力も創造力も育てる学校の可能性を実感している。