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【今月のポジだし!】社会問題の構築と基礎研究――ひきこもりを事例に
井出草平
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社会問題を発見し、解決に導くためには、クレーム申し立てと科学的な基礎研究が両輪となって動くことが必要である。
社会学の基本的な考え方のひとつに「社会問題の構築」がある。キツセとスペクターによって1977年に出版された『社会問題の構築』がこの問題の基本文献である。その起源はエミール・デュルケームにあり、社会学を長年にわたって支えきた考え方と言えよう1)。
社会問題が社会問題として成立するには「クレーム申し立て」が必要である。というのも、現実として社会の中に問題が存在したとしても、人々には認知できないからである。問題の認知がされるには、誰かが「ここに問題がある」と主張し、それが専門家やマスメディアに認知され、喧伝されねばならない。そうすることによって、人々は「社会問題」だと認知ができるようになる。
このような意味では、社会問題とは誰かがアピールをすることによって、構築された「もの」なのだ。
本記事で取り上げる「ひきこもり」も社会問題の構築の格好の例である。実際は1970年代には現在ほど多くないが、ひきこもりはすでに珍しくないものであった。しかし、社会問題だと認識されるようになったのは2000年前後になってからである。
精神科医の斎藤環が1998年に『社会的引きこもり』という新書を出し、ある程度認知が進んだが、一般的に知られるようになったのは2000年あたりである。2002年からNHKがひきこもりキャンペーンをはり、テレビでひきこもりの話題を目にする機会も多くなった。今では、ひきこもりという言葉とその現象は日本人の多くが知るまでになった。
社会問題の構築という点では、ひきこもりは成功したと言えよう。2003年からは疫学調査が行われ、ひきこもりの数が41万人と推定された。日本における大きな社会問題の一つだという位置づけは今も変わりない。
しかし、対策という面では現在でも、2000年代前半と大きな違いはない。この15年あまり目立った進展がないのである。
例えば、以下の3つの問題がある。
3については、予算は計上されていないわけではない。ひきこもり地域支援センターというものが全国75箇所に設置されている。ただ、予算は1か所につき400万円程度であり、数十万人のひきこもりの対策をするにはあまりにも少ない。
これら問題の根本には、ひきこもりの科学的評価が不在だということがあると、私は考えている。例えば、ひきこもりの定義は厚生労働省が定めているが、何が重症で、何が軽症なのかを計測する手段は存在しない。重症度を把握できないということは、対策が有効か否かを判断できない状態だということになる。つまり、効果的な介入を見つけることができなくなるのだ。
通常、介入の有効性は次のような手順で計測する。1)介入前の状態を計測、2)介入、3)介入後の状態を計測。3から1を引くと、介入による改善の度合いがわかる。そこに統計学的な差が認められれば、効果的だと判断できるし、誤差の範囲を出ない場合には有効だとは認められない。
このようなかたちでの介入・対策の有効性は、ひきこもり支援では研究がされていない。成功例のエピソードを語ることは今でも行われている。数字で介入の有効性を表すことに興味を示さない支援者が多くいるのが実態であるが、支援の効果を数字で表現するというのは非常に重要である。
行政が予算を策定する際には、その政策が有効かを説明しなければならない。財務部(省)に説明が必要であり、税金を使うのであれば、国民に対しても有効性を説明できなくてはならない。
ひきこもりがいて、本人も家族も困っているから、税金を使って支援せよ、と運動をする団体は多く存在する。確かに、ひきこもりを抱える家族は非常に困っているし、本人も絶望しているケースが多い。何らかの支援が必要なのは明らかである。
しかし、それだけでは、行政にとっては理屈の通らない主張だと捉えられているのではないかと私は思うのだ。つまり、有効性が分からないものに、国民の税金を使えと言っているためである。ひきこもりを支援する部署の担当者が、税金を使うと「どのように状況が改善するのか」を財務部(省)に説明ができない。それでは、税金を納める国民へ説明をすることができないと捉えられる。
そのため、現在まで、ひきこもり支援を拡充する運動はまったく成功していない。行政においてひきこもり支援の枠組みを作っていこうという動きもない。一方で、ひきこもりの当事者や家族、支援者は、行政は助けてくれないと行き場のない不満を抱え続けている。
両者の乖離は、ひきこもりに関する研究にエビデンスが不足しているために起こることだと私は考えている。
エビデンスに基づく国庫からの支出の例として、医療費・薬に対してどのような段階を経て認可されるかをみてみよう。薬が発売される際には、数十人規模の治験(I~II相)、数百~千人程度の大規模な治験(III相)が数年にわたって実施される。その際、薬の有効性を示すために使われるのが、重症度を測る尺度(検査結果や死亡率の場合もある)である。
抗うつ剤を認可するときには、うつ病を測定する尺度(HAM-DかMADRSが多い)を使用する。うつ病の人を集め、薬を飲む前と後の尺度の数値を比較する。平均値として、うつ病が改善していれば、その薬は有効性があると認められ、発売される。
つまり、薬が効いたという個人のエピソードを集めても、認可はされない。尺度などで有効性が科学的(統計学的)に確認された時のみ、認可され、発売される。「エビデンス」が必要なのである。
日本において薬の認可を国家が行う制度は、健康保険制度と密接な関連がある。健康保険での診療は基本的に3割の自己負担である。残りの7割は国庫から出されている。国が費用の7割を負担するのは、その治療法が科学的に有効であることが分かっているからである。
こう考えれば、有効性が不明であるひきこもり支援に、行政が予算を組まないのも当然といえば当然であろう。政策立案をして支出をするには「エビデンス」が不可欠なのだ。エビデンスがなければ、財務部(省)に必要性を説くこともできないし、そもそも国民の税金を使う名目が立たないのである。
そこで、私たちはひきこもりの重症度を計測する尺度を開発した。sSOFAS(エス・ソファス)と名づけ30分程度の講習を受けると、誰でも計測が可能である。Web版は以下のURLで公開をしている。
この尺度は、精神科医の鈴木太氏と保健師で大学教員の目良宣子氏とともに開発した。現在、福井大学、兵庫医科大学、和歌山大学、宮崎大学などの研究者の協力を得て、研究を進めている。尺度ができて間もないこともあり、まだ使用例は数例の研究にとどまっているが、少しずつ広めていきたいと考えている。
社会問題を社会問題として成立させるには、まず「社会問題として構築すること」が必要である。しかし、構築しただけでは「祭り」に近く、燃え上がったのちに勢いがなくなったり、実際の行政施策につながらなかったりする。その社会問題に対する介入に科学的エビデンスが伴い、研究が進むことが必須である。
社会問題が社会問題として存在し続け、改善に向かうためには、「社会問題として構築すること」と「エビデンスに基づいた基礎研究」の2つが必要である。この2つが社会問題の解決の両輪といっていいだろう。
(1)キツセとスペクターは社会問題の構築の概念はラベリング論の延長線上にはないと主張しているので、彼らの考え方に従うと、デュルケームの考え方とは異なる。構築主義は社会問題「運動」と捉える一方で、旧来のラベリングは「状態」として捉えるところに差異がある。構築主義の厳格派の立場をとるならば、運動と状態は区別できるが、原理主義的でなければ、運動と状態の区別は曖昧になる。デュルケームから続くラベリング理論のアレンジの一つと捉えるのがよいだろう。
社会問題の構築主義についてご興味を持たれた方は、キツセとスペクター『社会問題の構築』(マルジュ社)を購読の上、「オントロジカル・ゲリマンダリング」をキーワードにして調べてもらえると、社会構築主義への批判の概要が把握できるだろう。
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井出草平(いで・そうへい)
1980 年大阪生まれ。社会学。大阪大学非常勤講師。大阪大学人間科学研究科課程単位取得退学。博士(人間科学)。大阪府子ども若者自立支援事業専門委員。著書に『ひきこもりの 社会学』(世界思想社)、共著に 『日本の難題をかたづけよう 経済、政治、教育、社会保障、エネルギー』(光文社)。
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